またしても悲しい死を遂げる男に腐心し、脳を焼かれている私です。
ヨシモロマンスMODと出会い、まだプレイを終えていませんがテキストの断片やフォーラムでの対応(EEの発売は2012年、オリジナルは1998年なのに未だにMOD更新されている愛されっぷり)を拝見し、ヨシモロマンスMOD制作者さんの原作リスペクトぶりに感服しました。
ヨシモロマンスMODの内容詳細はあえて触れませんが、悲しいロマンスだということは明言されています。つまり、原作でのヨシモの運命が変わるような内容ではないということなのですが。
私が感心した点は、フォーラムで「死なない展開は作らないんですか?」と尋ねられる度(度々その問答が発生している)にそのMOD制作者様は「原作の展開を尊重した」と答えていらして。
回答を見るに、恐らくMOD作者さんの中で《ヨシモが「最後まで迷っていた」ことこそが主人公への最大の情》という解釈で原作展開を愛しているのだなと。
※ここで指している《情》は恋愛にこだわりません。友情だとしても。
少し話が脱線します。別ゲーで某呪術師生存展開長編を書いている身としては、自分が書いてるものって欲望には忠実だけれど本当に蛇足なんだよなと考えさせられました。
某呪術師の主人公への親愛や祈りは《呪術の火を渡し》《火の血縁となり》《別れの度に「亡者になんてなるんじゃねえぜ」と声を掛ける》事実で既に十分示されていて、彼の悲願の達成は、主人公が呪術の祖に会うことで果たされている。
だから自分が書いている話は原作の蛇足であって、たとえ自分と同じように望んでくれる方がいたとしても、《原作が必要としなかったもの》なんですよね。
(※二次創作自体がそもそも蛇足であるため、殊更こうして触れることに抵抗を覚える方もいるかもしれませんが)
と、二次創作における己の欲深さと業を改めて認識させられたわけです。
ファンアート活動はもちろん楽しいし、節度の上で楽しむ分にはお目溢しを頂ける場面も増えてきてはいるけれど。
《物語を作った公式が入れなかった》ということは、物語としてそれが正解の形なんだよなと思うわけです。
ええと、何が言いたいかというと、どんなに二次創作を楽しもうが《まず偉大な原作へ敬意を持つ》《どんなものを作ろうが我々はお目溢しの上で存在が許されている贋作に過ぎない》ことを忘れてはならないということですね。
これは界隈への注意喚起のメッセージではなく、私自身が常に胸に刻まねばならない警句です。恐れたまえよ。
それはそれとして、原作で死んでしまう男にばかり腐心する身としては、《生きていて欲しかった》と願うのもまたファン心なんですよね。
現実や原作がままならない世界だからこそ、《物語》の中では作られた幸せを楽しみたい。筆を執って現実を書き換えるのは、人類が築いてきた珠玉な傲慢さの一つですよね。きっと人はそれを「祈り」と呼ぶ。
BGEEはMODや有志翻訳などファンメイドコンテンツで成り立ってありがたく遊ばせて頂いているので、原作へのリスペクトはもちろんのこと、周辺クリエイター様の善意への感謝も尽きません。いつもありがとうございます。
あと!二次創作界隈のクリエイター様にも、もちろん感謝を。二次創作だとしても、何かを生み形にすること、それに伴う労力に敬意を払い、いつも楽しませて頂いています。
胡坐をかかず、良識を持った上で狂い続けていたいと思う今日この頃です。
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