#2

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十日後。コパーコロネットの自室で仕事用に集めた情報を読み漁っていると、不意にこめかみが強く痛み出した。《センディング(送信)》の魔術だ。忌々しいことに、偉大なメイジである我が主人は、いついかなる時も私に二十五語以内のラブレターを送ることが出来るのだそうだ。それ以来主人は昼夜問わず実に愛らしいメッセージを寄越してくるようになった。ギアスだけでもうんざりしているというのに、こうも自由を侵されるとは思わなかった。連日の送信魔法に疲弊した私は、メイジの恋人だけは作るまいと心に決めたほどだ。
『ネズミが出た 塔へ来い 素材を見張っておけ』
どうやら、シャドウシーフに塔が襲撃されたということらしい。告げられた命令に返事を返す。私に許された返事はたった一つ。『仰せのままに』これだけだ。慌てて支度をし、足早に塔へ向かった。

襲撃は全く予見できないものではなかった。というのも、塔は以前から目を付けられており、数日前から度々シャドウシーフが差し向けた子ネズミが侵入してきていた。イレニカスの妹であるボーディがアスカトラで好き放題し始めたことを発端に、両ギルドは巷で知られる《ギルド戦争》という全面抗争状態に置かれていた。
当然私は侵入者のネズミ捕りとしても働かされ、塔中の古い罠を修繕して周り、魔術的な仕掛け罠への良きアドバイザーにもなった。相手がイレニカスでさえなければ契約外だと不服を申し出たところだが、首輪を繋がれた身ではそうもいかない。《抽出の手伝い》と《監視》を条件に就いたはずが、数日にして大出世だ。もちろん報酬が増えることはない。イレニカスは「生きていられることが報酬だ」と言わんばかりの態度で私を存分にこき使った。
要するに、何も知らず金と仕事目当てに塔を訪れた哀れな賞金稼ぎは、鎖付きの囚人になった上、抗争の真っ只中に放り込まれたのだ。
ただでさえギルドに属さない一匹狼としてシャドウシーフに最後通牒を突きつけられていたというのに、その敵対組織に属することになるとは。
……暗澹たる思いだ。もし仮に、生きたままギアスを破棄しイレニカスから逃れたとて、その後はシーフギルドへの《挨拶》を要求するリーナル・ブラッドスキャルプが待っている。シャドウシーフが私とボーディとの間接的な繋がりをどこまで把握しているかは分からないが、一手誤ればギアスに堕ちるより早く、私は路上に打ち捨てられるだろう。これがランスボードならとっくに詰んでいる。盤面をひっくり返す手など思いつきもしない。
私としては、あわよくばギルド戦争の過程でシャドウシーフたちがそのまま主人を葬って欲しいところだ。だが、対するはボーディ率いる吸血鬼。シャドウシーフと私の未来は、全くもって明るくない。この十日、自棄酒なしには一睡もできなかった。
睡眠不足に更なる追い討ちをかけたのは、独自に調査して分かった《エッセンス》に関する情報だ。
主人がそう呼び檻に捕えていた哀れな標的は、よりによってまだ若い冒険者だった。故郷の言葉を借りるなら、一回りは裕に私と歳の離れた、まだほんの小娘。知の要塞都市キャンドルキープで本と賢者に囲まれ育ったらしい。殺戮の王バアルの血を引いており、主人が関心を寄せているのも、恐らくそのバアルの血筋なのだろう。
彼女は若いながらもアイアンスローンの鉄問題を解決し、サレヴォクによる陰謀を挫き、その傍ら各地で人々を助けた英雄として知られていた。若さに見合わない実績もまた、主人を惹きつけたに違いない。首に賞金の掛かった犯罪者やならず者ならともかく、英雄様の監視とは……気が進まない。おまけに彼女には共に戦う数人の仲間も控えている。監視役は私一人で、相手は複数人。いつも以上に慎重に動かなければならないのだ。

あの日以来、担ぎなれた二刀の得物はいつもずっしりと重たく、磨かれたコインの輝きも鈍く見える。一夜限りの快楽や酒、賭博、知りうる娯楽をいくつ頼れど、ギアスという重い鎖を紛らわせるものは一つもなかった。もしかすると、まだ主人から逃れられる手立てがあるかもしれないという半端な《思考の自由》と、一抹の《希望》が、却って私の気を狂わせているとしか思えなかった。
しかし、どれだけ自由を願ったところで、主人の手の一振りで与えられるあの苦痛を思うと、真っ向から反逆しようなどという気は全く失せる。下手なことをしてあの実験棟の死体のように惨く始末されるより、首輪が付いたまま街を歩き、生を謳歌する方がずっとマシだ。頭の中で算盤を弾くほど、結局大人しく監視に努めるのが最善だと思い至る。そうするうち、状況が変わることも考えられる。あわよくば自由になれるかもしれない。今の私は、さながら最低な手札を前に最高の役が配られるのを待つ、引き際を間違えたギャンブルだった。
忌まわしい手紙を受け取った時には桁二つ多いと思った額面。だが今にして思えば、無二の親友である《自由》を売り渡すには、あまりに安すぎる対価だった。一体どんな計算違いをすれば、こんな勝負に挑むやら。誤算も誤算、御破算だ。
「……煙草は、と……」
取り巻く情報を頭の端に注意深く留め、懐を弄る。鎧の上からポケットを叩くと、あちこちに忍ばせた仕事道具がガチャガチャと騒がしく喚き立てた。ポーチから取り出したのは手製の煙草。特別なハーブを調合し作った煙草は、不快な匂いを残さない。仕事前にこれで一服するのは、怖気付きそうになる自分を騙す一種の儀式であり、仕事の成功を願う験担ぎでもあった。
「…………ふーっ」
鼻から吐き出した煙がゆらゆらと不穏な形を描く。今回ばかりはーー決して粗末な仕事は許されない。この首が懸かっている。煙草を支える指が緊張で僅かに慄く。火の付いた先端で自分のため集めたメモに穴を開け、文字と共に迷いを焼き潰した。黒く焦げた紙の縁、その向こう側に、吐き出した白い煙が立ち昇る。煙は見せ付けるように身体をくゆらせ、憎たらしいほど思うまま、自由な形を描いた。メモが全て焼けて煤になる頃になると、朧げで曖昧な輪郭を残し消えかけていた。ぼんやりと宙に漂う不確かな軌道は、自分の行く末にも思えた。

表通りは騒がしく、塔に近付くほど見張りの衛兵が増えていく。シャドウシーフたちが派手にやってくれたみたいだ。主人の命とあらばすぐにでも塔に向かわなければならないが、このまま人目について、主人やボーディとの繋がりを知られては事だ。裏口を通る他ない。衛兵や住民の視線を避け、下水に繋がる道から塔内部に忍び込む。
塔の中は主人を探し回るシャドウシーフと、それを食い止めようとする主人のしもべのデュエルガル、そして吸血鬼たちが激しい戦いを繰り広げていた。これまでの襲撃とは全く規模が違う。どうやらシャドウシーフは本格的にイレニカスを潰しに来たようだ。
幾人かのシーフは既に敗北を喫し、冷たい床の上で事切れている。発動した形跡のある罠が魔法の火花を散らしている。
このまま共に戦いに巻き込まれるのは御免だ。幸い、まだ誰も私に気付いていない。息を潜めながら魔法罠と視線を掻い潜り、実験棟に繋がるポータルを目指した。
見慣れたポータルは数日前と変わらぬ姿で、まるで主人に倣うように不遜に佇んでいる。あの惨い血肉に塗れた監獄を思うと、気が重くなるばかりだ。
躊躇いながら懐から鍵を弄るとーーふと、ポータルの波立つ魔法の向こう側に人影が映った。主人の姿でも、シャドウシーフの出立ちでもない。今まさに向こう側からこのポータルを通ろうと、幾人かが集まって鍵をかざしている。逃げ出した《エッセンス》とその仲間たちだ。どうやらもう檻から抜け出していたらしい。ポータルは鍵を持つものを認め、輝く粒子を放出し始めている。もう猶予はない。私の役目が監視となると……ここは一つ、適当な芝居を打ち同行する他なさそうだ。
逆巻く魔法の鏡面から現れた標的たちは、私を見るなり静かに武器を身体の前で構えた。あれほど凄惨な仕打ちを受けてよく立ち上がれたものだと感心しながら、同じ囚われの身を装って近付く。四人分の視線と武器が一斉に勢いよくこちらを向く。
「おっと! 武器を下げて欲しいですな。私は怪しい者ではありませんぞ。あなた方がこの辺りをうろつく悪党の仲間でないなら、ぜひとも助太刀願いたく……」
先頭に立つ一番小柄な少女ーーいや、集めた情報によればとっくに成人はしていたはずだがーーが一歩前に出てこちらを見上げた。噂に聞いていたよりもずっと小さく華奢な体躯は、彼女が各地で残した英雄譚にはとても見合わない。並び立つ赤毛の娘も、彼女よりいくらか背が高く大人びて見えるものの、表情が暗い以外はごく普通の娘に見える。後ろに控えている自然のしもべや、大柄なスキンヘッドの男の方が、まだ冒険者らしい。
彼らに共通していたのは、壮絶な体験を物語るひどい隈と痩せこけた頬。主人が執着していた異様な実験によってやつれた姿だった。
「あなたも……あの魔術師に捕えられていたの?」
《エッセンス》は掠れた声でこちらに疑問を投げかける。その表情には露骨な疑念と「出方次第では攻撃も辞さない」という威圧が滲んでいる。迂闊な事は言えそうもない。
「ええ、全くそのようで。いつ、どうやってここにきたのか覚えていませんが……気付けば牢の中だ。最後の記憶は、アスカトラの宿。ふむ……薬でも飲まされ、連れて来られたのかもしれませんな」
《エッセンス》は身体より大きなクォータースタッフを構え、眉根を寄せたまま慎重に質問を選んだ。
「ここはアスカトラなの?」
「……残念ながら、それは分かりませんな。どれくらい離れているのか、どうやって連れて来られたのか。分からない以上……断定はできますまい。しかし、その可能性も十分あり得ますな?」
彼女は注意深く一歩前に歩み出た。
「あの魔術師の手先ではないと、証明できる?」
きっと凄んでいるつもりなのだろうが、痩せ細った身体とその体躯では全くの逆効果だった。今の彼女はせいぜい袋のネズミだ。置かれた状況も知らず、怯えて鳴き立てる小さなネズミ。聞いていたよりもずっと若く見える。……気の毒に。
ようやく出会った自分よりずっと哀れな存在に、私はいくらか胸のすく思いがした。その怯えるような瞳と、娘の身体に残された生々しい惨い傷を数えるうち、自分はずっとマシなのだと思えたからだ。
「まさか。……もしや私をご存知ない? ヨシモですよ、あのヨシモ!」
だからだろう。不思議とここ数日で一番自然に笑うことができた。人見知りの子供や小動物にそうするように、私は《エッセンス》に戯けた手振りで微笑みかけた。まずは、危害を加えない安全な存在だと思ってもらわねばならない。
「ヨシモ……?」
仕事柄使い慣れた手。容易に敵を誘導できる罠で、私の十八番だ。案の定《エッセンス》は真剣に考え、そして申し訳なさそうに首を振る。だがこの手において私を知っているかは全く重要ではない。申し訳なさという心の隙を、ほんの一瞬与えられれば十分だ。
「……ええと、ごめんなさい。あなたのことは聞いたことがないわ、ヨシモ」
「それは全くもって残念だ。私はそれなりに名の知れたウォリアーですぞ……」
不安げに寄せられた眉は少しずつ皺が薄れていく。後ろの方で、私の爪先から頭のてっぺんまで舐めるように観察しているドルイドはともかく、この娘を説き伏せるにはあとひと押しだ。
「この先にはフィーンドが待ち構えていましてね、私を見るなり次々と襲ってくるのです! どうやら魔法の檻から無限に飛び出しているようで、それさえ潰してしまえば襲われる心配はなさそうなのですが……」
クォータースタッフの先は、既に私の喉元から腰の辺りまで下がっている。それを片手でそっと地面へと向け、娘の目線まで膝を折り顔を覗き込む。
「もしよければ。あなたたちに同行させて貰えませんか? ええ、足は引っ張りませんとも。必ずやあなたのお役に立ちましょう」
《エッセンス》の瞳は徐々に警戒を潜め、やがて安心したように目尻を下げた。
「……事情は分かったわ。今は一人でも多い方が助かるの。一緒に来て、ヨシモ」
後ろで一層注意深く目を細めたドルイド以外は、私の同行を迎え入れるように列に僅かな隙間を開けた。……ふむ。思いの外、意思決定権が《エッセンス》に偏重したパーティらしい。私にとっては実に好都合だ。懐柔する対象がはっきりしているのは有り難い。
「では、先導を頼みましょう。失礼、あなたの名前は?」
本当は知っている。この十日、彼女にまつわるありとあらゆる情報を集めてきた。
「ノアよ」
差し出す私の手を取って、彼女は控えめに力を込めた。冒険者にしてはまだ傷が少なく繊細な指。少しの力で硝子さながら砕けてしまいそうなメイジらしい手は、握るとほのかに温かかった。
「ほう? ……良い名前ですな」
すっかり仲間の顔をして《エッセンス》のすぐ横に並び立ちながら、賢者ゴライオンも酷なことを、と思わずにはいられなかった。調査中から気付いていたことだが、ノアはセレスチャル語で《安息》を意味する名。賢者が安息の願いを込め名付けたのだろう。だが彼女は、殺戮の神の血を引くばかりに、安息とは程遠い運命を背負っている。……なんという皮肉だろうか。どんな道を辿ったとて、名付けた者の祈りを嘲笑うように、彼女の行先には悲劇が待ち受けている。何故なら、我が主人にとってこの娘は神性の《エッセンス》で、私にとっては標的でしかないのだから。
「ノア」
紙に記された名をなぞる時より、口に出す方がより哀れな響きに感じられた。果たして死は安息になり得るだろうか? もしそうなら、やがてこの娘に《安息》をもたらすのは私だろうか?
「喜んで、ヨシモはお供いたしましょう」
大袈裟で恭しい私の礼を見て《エッセンス》は表情を緩めた。油断したその顔は、やはり噂に聞いていた英雄というより、戦場に迷い込んだ蝶のように無防備だった。あまりに警戒心が薄い。このまま優しくエスコートすれば、きっと彼女は迷いなく、私の手を頼るようになるだろう。
「あなたの得物はカタナ……よね? どこから来たの?」
「ここから遥か東の大陸、カラトゥアですな!  偉大なヨシモはサムライの国から参りました。カラトゥアをご存知で?」
和やかな雑談に興じながら、他人の掌の上で踊る者を冷ややかに観察するのはーー今の私にとって自嘲に等しい行為だった。しかし、それ故どこか愉快でもあった。結局この世界は幾重もの見えない檻に囲まれ、誰一人自由ではなく、善人や英雄も例外ではない。《エッセンス》も私も同じ囚人なのだ。檻に気付いているか、そうでないか……我々の間にある違いはたったそれだけだ。
「カラトゥア! ねえ、ノア。私たち、キャンドルキープでカラトゥアの本を読んだことがあるわよね?」
「そうね。挿絵に書いてあった優美な景色に憧れて……」
暗い悦びから来る同情も、待ち受ける運命も露知らず《エッセンス》と仲間たちは私が示した出口へと歩き出した。標的が一歩また一歩と罠へ向かってゆく足音は、こんな時でさえ私を高揚させた。

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