蜻蛉の羽に似た淡い色の瞳は、すがるように俺を見ていた。その瞳の奥には燃え上がったばかりの昂りと、わずかな迷いが滲んでいる。きっと俺も同じ顔をしているだろう。伴侶となれたこと、彼女の柔らかい肌に触れたこと……小さな火の粉が、彼女を知りたい感情に火を点けてしまった。秘めたものに触れたい。同じ熱を共有したい。だが、《この先》に進むのを躊躇う理由がある。以前、旅の中で彼女のソウルのごく一部が身体に流れ込んだことがあった。ソウルが彼女の記憶を垣間見せたのだ。
——硬いベッドの上。薄汚れた天井と、それと同じくらいみすぼらしい男の顔を見上げていた。今から自分は、サイドテーブルにちぐはぐに転がった三枚の銀貨と同じように扱われるのだ。下卑た笑みで男が肩を掴んでくる。救いを求めて惑う瞳は、その腰に光るものを見た。冷たいナイフの刃だ。身を守れるものがあるとすれば、それだけ。記憶の主は覆い被さらんとする男の腰からそれを引き抜いて……無我夢中で刃を振るう。力任せに空を切る刃。その軌道の一つが男の首を通った。吹き出す鮮血。血の海。その中心で、この世の道理を知る。奪われたくなければ、奪うしかない。まだ温かい液体に塗れた頬を拭い、ナイフを握りしめる。奪われる者になるものかと、胸に誓いながら——
残酷な記憶から現実へと引き戻された時、最初に目に入ったのはよく見慣れた刃だった。そう、あの日の刃を彼女は今も握りしめている。俺が記憶を覗いてしまったことを彼女は知らない。
俺は何と声を掛けて良いか分からなかった。もっと早くに出会っていれば。そんな言葉が彼女を救うならナイフは必要ない。胸を満たす苦い感情をどうすることも出来ず、ただ、そのナイフが彼女の手の甲で美しい弧を描いて滑るのを見ていた。
あの記憶は、間違いなく彼女の心の傷だろう。幼い少女からこの世界への信頼を奪ったのは確かだ。もし今、知りたい欲のまま手を伸ばせば、その傷に触れてしまうかもしれない……そう思うと、《この先》の営みを欲することは憚られた。
それに、身体を重ね合わなくとも、俺と彼女の間には築いてきた絆がある。先ほど残した火傷の痕だって、その一部だ。俺は彼女を《奪う者》になるつもりはない。心が凍え、寄る辺を必要としたときに、守り温める炎でいたいだけだ。
思案する俺の火傷痕を、彼女は慎重になぞった。胸の下で脈打つ鼓動を確かめるように、そこに頬を寄せる。
「そろそろ……寒いだろう?」
肌が露わになったままの肩をそっと抱き込む。表面が少しだけ冷たい。火を出して摩ると、彼女の肩は驚いたように小さく跳ねた。
「……まだ。このままがいい」
彼女の両手が背中に回る。掻き抱く腕の力の強さに、今度は俺の方が驚いた。
「なら、あんたの気が済むまで、こうしていようか」
「一晩中でも?」
「ああ……一晩中でも」
火に照らされ、赤赤と燃える髪に口付けを落とす。それに倣って、彼女も同じように俺の火傷の痕に唇を寄せた。やがて、どちらからともなく吸い寄せられ、唇を啄んだ。
「ん……ぅ……」
舌が触れる度、身体が熱を取り戻した。漏れた吐息まで熱くて、頭がぼうっとしてくる。心とは裏腹に身体は疼き出す。熱く滾った欲望が、彼女の全てを欲している。もっと知りたい。
俺の葛藤など露知らす、彼女の舌は容赦なく衝動を暴いていく。抗おうとすると、身体の芯がじくじくと痛む。頭の中が欲望で膿んでいる。触れたい。彼女の心の柔らかいところも、全て。身体を蝕んでいく劣情を追い払おうとして、辛うじて残った理性で唇を離す。浅い呼吸が互いの火傷の痕をしっとりと濡らした。
「……はぁ、っは、……はっ……」
「し……しょ……? もっ、と……」
いつの間にか、彼女の両腕は俺の首の後ろを捕らえていた。逃げ出そうとする俺に、若葉色の瞳が告げる。「一人にしないで」と。風が彼女の前髪を揺らす。静かな夜を見守る草木がざわめいた。息をひそめ、二人の答えを待つように。
「……もっと、欲しいの。全部……」
その言葉で堪らなくなって、首筋に吸いついた。見えない印をつけていくみたいに、彼女の肌を唇で辿る。どこに触れても彼女は拒まない。全てを差し出し、ただ待っている。同じように俺が心を委ねるのを。
「本当に……俺でいいのか」
彼女は俺の首に回した両腕を自分の方へ強く引き寄せた。そのまま押し倒す形になり、交わる視線が近付く。急いた鼓動が重なって一つになる。
「あなたじゃないと、嫌だ。……あなたの全てが欲しい」
彼女の答えを聞き、燻っていた渇望の火が一気に燃え上がる。貪るように口付けし、熱を確かめ合う。抑え切れない感情がいくつも噴きあがって身体を燃やした。輪郭を溶かしながら、更に熱を上げる。二人の間を行き来する吐息すら熱い。でも、まだだ。俺が彼女に燃やす情熱はこんなもんじゃ済まない。
夢中で口付けるうち、髪が汗ばんで額に張り付いた。彼女の顔にかかる俺の髪を耳に掛け、そのまま背に沿って指を滑らせた。背筋を流れる感覚に煽り立てられ、本能のまま胸の膨らみに触れる。緩やかな曲線の下で、どくんどくんと、高まる興奮が刻まれてゆく。なだらかな輪郭を舌でなぞると、彼女は堪えきれず甘い声を漏らした。
「あっ……んんっ……」
反応に後押しされ、今度は胸の頂きに触れる。唇と舌で交互に慈しむうち、彼女は身体の震えを隠さなくなっていった。指先から始まった震えは目に見えるものに変わり、やがて不随意な痙攣になった。軽く歯先を触れさせると、びくんと大きく仰け反り声を上擦らせる。
「んっ……だめ……!」
聞き慣れない甘い響き。使命に身を捧ぐ不死人には不釣り合いな可愛らしい声。まだ知らぬ声を、もっと聞いていたい。貪欲に突き動かされるまま、身体の隅々へ唇を這わす。どこに触れれば悦び、どんな風に身体を震わせるか、知り尽くすまで。気付いたときには、太腿の内側まで辿り着いていた。ほっそりした外見とは異なり、意外と柔らかい内腿を食む。一段と大きく震えた腰を引き寄せ、その中心に秘められた熱の芯へ手を伸ばす。
「……っ、……あっ、はあ……!」
触れた手の感触を味わうように、彼女は目を閉じていた。
「……ふ、気に入ったみたいだな?」
断続的だった彼女の深い吐息が、浅い呼吸へと変わる。表面をなぞるだけでも十分熱いそこは、更なる熱を期待しているようだった。触れた指に悦びの痕跡が残る。それを頼りに内側をゆっくり探っていった。指が沈むのに応じて、切ない声が漏れる。もがく彼女の手が俺の髪を手繰り寄せた。
「やっ、あっ、熱い……んっ」
滴る快楽が指に絡む。熱がとめどなく溢れ、なだらかな丘陵と内腿を濡らしている。与えられる未知の刺激に戸惑う身体はガクガクと震えていた。
「あ、だめ、そこ……あっ、あ、っ!」
見届けるまで、もう止められない。そう確信しながら中を弄った。後ろで束ねていた彼女の髪は解け、草の上に乱れて散らばる。彼女が感じるたび愛しさが込み上げて胸が温かくなる。兆す己の火柱よりもっと奥深いところで、幸福が滾る。俺の与える熱を求め喘ぐ彼女の姿が、こんなにも心を満たすとは思わなかった。勢いづいた嬌声は途切れることなく悦びを訴えた。
「っ! あっ、あ、~~っ!?」
張り詰めていた身体が、がくんと跳ねて力を失う。彼女は呼吸を止めていたかのように、空気を欲して息を吸い込んだ。その瞳に浮かぶ情欲の炎は、まだ物欲しそうに揺れている。
「ラレン、ティウス……」
俺を受け止めるため差し出された両腕。その中に顔を寄せる。まだ余韻の残る熱い吐息を浴びながら、額に短く口付けた。
「……俺も、あんたが欲しい」
頷く彼女の芯に、兆した己の火柱を沈める。ゆっくりと、時間を掛けて埋めていった。やがて、汗ばむ身体はぴったりと重なり合う。
初めての感覚だった。魂に触れたような一体感。揺り籠の中で揺られるような温かさ。その先に、求めていた熱がある。生命の根源。神がもたらした火。それより奥で待つ、光を持たない温度。何も分かたず際限なく広がる、優しい抱擁。火より深く、暗い——闇だ。俺たちは皆、ここから生まれた。
ただ、その感触に酔いしれていた。互いの闇を包み、包まれて、赦し合う。この瞬間、俺たちは異端でも盗賊でもなかった。世界が与えた名も役割も溶かす、融和の中にいた。
どちらからともなく身体を揺らし、熱を与え合う。闇のもたらす渇望のまま烈しく踊る。もっと、もっとだ。魂も心も、この愛と献身で焼き尽くすまで。
手を取り合い、熱を交換し、深くまでこの身を差し出して、彼女の全てを受け入れる。代わる代わる温めるその等価交換の中で、目も眩む快楽を知る。火に焦がれ、どれだけ彷徨っても一人では得られぬ温もりを。呪術を探求したところで到達し得ない熱。
この身を全て彼女に捧げたい。境界が分からなくなるほど、一つになりたい。その一心でより深くに潜り込む。仰け反る彼女の腰を抱いて、燃え立つ最奥に触れた。
「あっ、は……中、熱くて……もう……!」
共に炙られ、烈々たる営みの速度が早まる。互いを灼く火の勢いが増す。絶え間なく吐き出される息に掠れが混じった。「お願い」と彼女が囁いた。その求めに答えるように、灼熱の奔流がこみ上げた。
「俺はもう、全部……あんたのものだ」
脈打つ熱を注ぎ込む。幾度かに渡って押し寄せる波に身震いした。彼女はそれに合わせて、ぎゅっと目を瞑った。風の音、空気の匂い、夜の冷たさが一度に戻ってきた。
身体を繋げたまま、息を整える。中を満たしていたものが溢れ出し、繋がりが解けると、今後は代わりに指を絡めて口付けをした。くしゃくしゃになった髪を指で梳く。分かち合った熱が和らぐまでの間、ずっとそうしていた。微睡に落ちかけている彼女の表情は、安心しきっている。悲劇の夜を迎える前の少女も、きっと同じ顔をしていたのだろうと思った。
「……また、こうして良い?」
「ああ、もちろん」
身体の奥に残る熱がすっかり冷める頃には、腕の中の安らかな寝息を聞いていた。穏やかに上下する胸の上で、誓いの痕が鼓動する。いつか訪れる終わりの時まで、この誓いの印は今日の熱を記憶するだろう。
外套を掛け、微睡に身を任せる。——同じ夢を見られるようにと、心の中で呪いをかけた。