もう一度、その目で

ラレ→不死
ラレの片思いみが強い話。原作寄り。暗め。

いつからだろう。彼女が俺と視線を合わせなくなったのは。
出会った頃から何一つ変わりなく、挨拶を交わし、時に呪術を教え、互いの身を案じてきたはずなのに。
……気付けば視線が交わらなくなっていた。もし初めからそうだったなら、特別気にも留めなかっただろう。だが、そうではなかった。彼女は呪術の教えを請う時、とても真摯な眼差しで取り組んだ。俺はそのまっすぐな視線、瞳の中の燃え上がる熱意に、呪術と同じくらい焦がれていた。
最近の彼女は、呪術を習う間もどこか上の空で、何か全く別のことを考えているようだった。修行の手を抜いているわけではない。それどころか、乾いた水が砂を吸うように、次々と新しい呪術を覚えていった。このままいけば、そのうち俺の実力をすぐに超えてしまうのではないか。そんな焦りも覚えた。
彼女が何を考えているのか。直接尋ねるのは憚られた。その答えが何であれ、彼女の関心が俺から離れているのは明らかだから。知ったところで、何が変わるわけでもない。きっと俺より優先すべき大切な事柄があり、それに思いを巡らせているのだ。
ならば、そこに俺の入る余地はない。だってそうだろう?初めから俺と彼女との間には《助けてもらった礼に呪術を教える》という約束以外、何もないんだ。大沼での師弟関係のような、正式な契りなどない。辛うじてある繋がりといえば、彼女に渡した火が俺の体の一部ってことくらいか。俺たちの間にあると思っていた絆は、言葉にするとなんと容易く儚いことだろう。
《友人》……ただそれだけだ。
このまま呪術を教え続ければ、きっと彼女は俺より優秀な呪術師になる。呪術の師としては、この上なく喜ばしいことだ。だが同時に、一人の呪術師として、複雑でもある。彼女の上達を心から祝福したい思いと、高みを目指す呪術師としての、くだらないプライド。それが混ざり合ったこの心中を、一体どう処理すればいいか分からなかった。時折、このままではいけないと焦燥感に駆られて、彼女の前から姿を消したい気持ちにもなる。そうしたところで、彼女の方が優秀であることに、何も変わりはなくとも。
もしかすると、彼女はそんな俺の変化を見抜いているのではないかとも考えた。彼女が俺の目を見なくなったのは、俺の浅ましい心中を見透かしているからで、変わってしまったのは彼女ではなく、俺の方なのではないかと。でなければ、それ以外に一体どう説明がつくというんだ。俺が彼女に何かしてしまったなら、教えて欲しかった。情熱を宿したあの瞳にまた俺の姿を映してもらえるなら、なんだって改めるくらいの覚悟はしていた。
俺が苦しむ間も、時は過ぎていった。結局、考えるばかりで何も聞き出せず、幾度も彼女は俺の元へ訪れるが、視線は交わらないままだった。それどころか、彼女はぱったりと俺の元へ訪れなくなり、話すことすらなくなった。祭祀場でたまに見掛けても、存在を忘れ去られてしまったみたいに彼女は俺の前を通り過ぎていく。……もう、用済みなのか?俺だけが彼女を友人と思っていたのか?呪術だけが、俺たちを繋ぐ理由だったのだろうか。
薄々気が付いていた。俺が待っているのは、最早今の彼女ではなく、「師匠、師匠」と親しみを込めて俺の後をついてきた、あの頃の彼女の影なのだ。見せる呪術全てに感嘆の声をあげ、瞳を輝かせる、かわいい俺の一番弟子。こんなにも早く巣立ってしまうなら、出し惜しみをすればよかった。雛のいない巣に取り残された感傷は、どこへも飛び立てず、ただ巣の中でうずくまっていた。どうか、もう一度だけでいいと祈りながら——俺は待ち続けた。

ある日、待ち続けるだけの俺の願いを、運命はついに聞き入れた。
少し険しい面持ちの彼女が、俺の前に再び訪れた。嬉しかった。まだ俺にも価値が残っていたんだ。久しぶりじゃないか。あんたに聞きたいことがいっぱいあったんだ。例えば——
「……その呪術はどうしたんだ?」
教えてくれ。そんな呪術は見たことがない。そう続ける俺の目を見ないまま、彼女は簡潔に答えた。
「呪術の祖に会った」
なんだ、そうだったのか。あんたはついに見つけたのか。呪術師の悲願。原初の炎を知る呪術の祖と、その故郷を。目を凝らさずともすぐに分かった。彼女の火は、今の俺の火よりもずっと激しく燃えている。きっと呪術の祖に強化してもらったんだろう。知らない間に、あんたはとっくに俺よりも強い、一人前の呪術師になっていたんだな。
こんなに誇らしかったことはない。呪術師なら誰もが憧れる、あの《呪術の祖》に弟子入りしたなんて聞いたら……どんな呪術師だってあんたを羨むだろう。
……なのに、どうしてそんな顔をするんだ?
あんたに先を越されちまったが、俺だって一端の呪術師だ。今から呪術の祖に会いに行って弟子入りしてくるよ。そうすれば、きっとまたあんたと呪術の話ができる。あんたが呪術に向き合う、あの瞳を見られるというなら……もう一度病み村へ行くのだって怖くはない。今の俺には、あの時とは違って、あんたとの思い出があるから。

******

彼女が教えてくれた場所に、魔女はいなかった。代わりに居たのは、大きな肉断ち包丁を構えた狂った女。油断していた。浮き足立っていた。また彼女と呪術の話ができると知って、そればかり考えていた。
身体を一刀両断する、かつてない鋭い痛み。声も出せない。自由の効かなくなった体がゆっくりと毒の沼に沈んでいく。なんとなく分かってしまった。これが最期なんだと。きっと次目覚める時、俺は俺ではないだろう。
まさか彼女に限って、嘘を言うわけがない。きっとどこかに呪術の祖はいるんだ。出会えなくとも、絶対にいると確信している。彼女の、あの燃え盛る炎は、俺の火だけではなかった。俺より良い師を見つけたであろうことくらい、未熟な俺にだって分かる。呪術の腕では魔女に叶うはずもないが、彼女に最初に火を分けたのはこの俺だ。彼女がどれだけ優秀でひたむきで孝行な弟子だったかは、俺が一番よく知っている。それだけは呪術の祖にだって……負けないつもりだ。
このまま死ぬことに、不思議と心残りはなかった。彼女に渡した、俺の体の一部……呪術の火は確かに《呪術の祖》に相見えたんだ。それは、俺に火を分けた大沼の師匠や、そのまた師匠たちの願いを叶えたに等しい。俺も、俺の師匠もそうやって想いを託してきた。だから、呪術の祖に直接会えないことは構わないんだ。
たった一つだけ心残りがあるとすれば……亡者になった俺を最初に見つけるのが、恐らく彼女になることだった。亡者になるなと口酸っぱく言ったのは俺の方なのに、全く笑える話だ。亡者になった俺を見つけたら、彼女はどんな顔をするのだろう。もうそれを見ることも叶わない。次会う時は……俺の目を見てくれるだろうか。亡者の頭じゃ何も覚えちゃいないだろうな。でも、命燃え尽きる時に最後に目にするのが、あの燃え上がる瞳であればいいと思う。
ああ、最期にもう一つだけ我儘を言い残せたなら。あんたに向けた俺からの眼差しは、羨望でも醜い嫉妬でもなく、ただ純粋な——憧憬だった。
その熱に、触れていたかった。

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