#3 小さな灯火

不死街~最下層まで。やっとラレンティウス出せた!4話から旅が始まります。

その薄暗い路地は、奥へ進めば進むほど光を奪われたかのように薄暗くなっていった。灯りもほとんど無ければ、陽も届かず、湿った冷たい空気だけが満ちている。歩いているだけで、マスクに覆われていない目元の肌がしっとりと冷やされていくのを感じた。
廃れ滅びたこの街には、希望も活気もまるでない。こういった景色は見慣れている。貧民街はどこもこうだ。足りないものがあるとすれば、地べたに寝転び死を待つ者や物乞いくらい。それ以外は、見覚えのあるものばかりだ。建築様式も、廃材も、伸び放題の雑草も…全部故郷そっくりだ。初めて来たはずなのに既視感を覚えるとは、なんとも不思議な体験だった。

ふと、路地の先から奇怪な音がした。ギィギィと何かが擦れるような低い音が、狭い路地の壁に反響し幾重にも重なって聞こえた。初めは窓枠や扉が風に煽られ軋む音かと思った。だが、よく聞くと違う。くぐもった音の合間にかすかに呼吸や鼻息のような空気を感じさせる音が混じっている。…人の声か?先ほどの魔術師のように、囚われている不死人がいるのかもしれない。注意深く耳を澄まして音の正体を探ろうとする。近付くにつれ音は大きくなるものの、正体は全く掴めない。また敵が潜んでいるのではないかと不安に駆られた。その時、軋む音とは別の小さな唸りが静寂を破った。

「ワウワウッ!」

けたたましい声に驚いて振り向く。二匹の獣がこちらに向かって牙を剥き出し、吠えている。

「また犬…」

足を噛まれないよう腰を低く落とし、盾を突き出した。一匹目の犬の牙がそのまま盾に直撃する。跳ね返った勢いで犬は大きく後退った。
今がチャンスだ。すかさず、もう一匹の犬の胴にナイフを投げる。僅かに軌道を逸れたナイフは犬の背を擦り落ちていった。石の床に落ちたナイフがカランと音を立てた。もう一度、腿に挟んでいたナイフを取り出し今度は犬の頭を狙う。手を離れたナイフは敵目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。そして見事犬の額に命中した。頭にナイフの突き刺さった犬は、短い唸り声をあげ数度震え、やがて静かになった。
最初に相手をした犬へと向き直る。唸り声と共に激しく吠え立てた後、そのまま一直線に盾目掛けて飛び掛かってきた。受け流そうとしたものの、その牙は盾枠のすぐ下に突き刺さる。牙が刺さったまま、犬は盾ごと振り払おうと力任せに頭を振った。持っていかれないよう握る手に力を込め、もう片手でその頭に短刀を沿わせる。すると、力を入れるまでもなく鼻先から耳にかけて二つに分たれ、犬は動かなくなった。小盾をその牙から引き抜き、ついた傷を眺める。それほど深い傷ではないが、ここを起点に損傷していくことも考えられる。また鍛冶屋に寄ることがあれば、見てもらった方がいいだろう。
犬の骸の先には大きなアーチが聳えていた。ここも不死街の他の建物と同じように、苔や蔓に覆われた壁が続いていた。しかし、日当たりの問題なのかこの辺りだけ路地のどこよりも明るく、不死人を導くかのように光が差し込んでる。軋むような音はこちらからしたはずだが…。

「ギギ…ギィ…ギィギィ」

音の正体がゆっくりとこちらを振り向いた。人に似た二足歩行の体に、不釣り合いな白い山羊の頭蓋が載っている。その肩や腿は筋骨隆々で筋肉が異常なほど発達している。山羊頭の怪物…恐らくデーモンだ。
山羊頭のデーモンは、歯軋りのように顎を擦り合わせこちらを睨んでいる。目が合ったまま動けずにいると、その後方から二匹の犬が姿を現した。…ここにもいるのか。まさか、飼っているとでもいうのだろうか?
デーモンが頭の上で大きな二つの鉈を重ね合わせると、それが合図なのか、身振りに合わせて犬が跳躍した。まずい。囲まれた。大きく飛んだ犬が背後に二匹、目の前には山羊頭のデーモン。
この状況を打破しないと勝ち目はない。山羊頭が向かって左の刀を振り上げるのに合わせて、私は一気に前方に転がり込んだ。攻撃を避けたそのままの勢いで走り、脇を抜ける。階段の上まで一気に駆けると、梁のような細い足場に登った。デーモンは私の動きについてきていない。まだ私がいた方向に大鉈を叩き下ろしている。

「ほら、こっちにおいで…」

その間に、身動きの早い犬を手振りで呼び寄せた。いち早く私に追いついた犬は、足に食らいつこうと飛び掛かってくる。それをすかさず蹴り落とし、上から隠しナイフを浴びせた。犬は短い悲鳴を上げる。これで一匹。もうあと一匹。今度は盾を降ろし、一呼吸早く短刀で宙に弧を描く。不幸にもそこに飛び込んできた犬は、鋭い刃にそのまま切り刻まれ動かなくなった。それに気付いたのか、デーモンはギィギィと顎を擦り合わせながらこちらに駆け寄った。大鉈の片方の刃先が壁を擦り、長い亀裂を残している。食らえばひとたまりもないだろう。対峙したデーモンは、その腕の筋肉に任せて力一杯両鉈を大きく振りかぶる。動くなら、今だ。

「っ…」

上手く体を丸め、足場の下へと転がり落ちた。着地の衝撃で膝を打ったが、構わず部屋の中央へ駆ける。大鉈と短刀ではあの梁は部が悪い。武器の届く位置で戦うにはもう一度ここに降りる他ない。
デーモンは私の後を追いすぐに足場から飛び降りた。その衝撃で瓦礫の欠片であろう粉塵が舞う。煙る視界に目を細めつつ、その粉塵の向こうでよろめいた山羊頭がもう一度飛ぶのを見た。私の真上に着地しようとしているのだろう。あんなものに踏みつけられたらひとたまりもない。
タイミングを見計らって身を躱す。背中を取った。血管の浮き出た大きな背中を短刀で何度も切り付けていく。致命傷じゃなくていい。できるだけ沢山切り付けて失血を狙う。硬い皮膚を切り付けられるたび、デーモンは轟くような咆哮をあげた。
振り向こうとしているのに気付き、それに合わせて今度は盾を構える。受け切れるだろうか。一太刀ずつ繰り出された攻撃を受け流そうと身を固める。しかし金属製と言えど小盾では攻撃を防ぎきれず、あえなく弾かれる。無防備になった頭に揃えられた二本の大鉈が迫った。くそ、しまった…。

気付けば、篝火にいた。死んで帰ってきたのだろう。幸か不幸か、身体のどこにも痛みはない。痛みを味わう前に死ねたということは…頭から真っ二つにされたのだろう。想像しただけで血の気が引いた。いくら不死になったとはいえ結局のところただの人の身。身丈が倍はあろう筋骨隆々のデーモンとやり合うなんてどうかしている。
真っ二つになるのはもう御免だ。出来ることなら死にたくはない。なんとか楽に戦えないものだろうかと、荷物袋を逆さまにして持ち物を漁る。道中、使えそうなものは片っ端から剥いでいた。何か戦闘に役立つものが一つくらいはあるはずだ…。

「ナイフ…鍵に…緑花草…火炎壺か…」

そういえば祭祀場を離れてすぐ、水道橋の前にいる亡者に火炎壺を投げつけられ危うく顔を火傷しそうになったのだった。壺の中には黒色の火薬がはち切れそうなほど詰まっており、火種さえあれば投げつけた相手を黒焦げにすることができそうだ。獣は炎を嫌うはずだし、投げてみるのも良いかもしれない。遠くには飛ばせないが、コントロールには自信がある。試しに犬にでも投げてみよう。

それ以外にめぼしいものはなかった。目新しい作戦も思いつかない。あとは、不死に物を言わせ挑み続けるしかないだろう。その覚悟でこれまで二体ものデーモンを倒したのだから。今回もきっといけるはずだ。自信があろうとなかろうと、そう自分に言い聞かせるしか道はなかった。

そうして私は、再び山羊頭のデーモンが待つアーチを潜った。道中歩きながら考えた結果、盾には頼らずなるべく自分の体だけで攻撃を避けることにした。力では叶わないが敏捷はデーモンを上回っているからだ。
揃えて振りかぶった大鉈の下を潜り抜け、犬に追われながら細い足場を目指す。途中、腱に犬の牙が当たり痛みが走る。しかしここで止まるわけにはいかない。前方に転がり込むようにして足場まで飛んで犬を振り切る。これで一気に片をつけないと。
火薬の入った壺をベルトから外し、左手に構える。続けて火打石を取り出し、導火線代わりの紐に火をつけ、そのまま一気に投げ付ける。火炎壺は眼前に迫っていた犬の鼻先目掛けて真っ直ぐに飛んだ。これなら確実に当たるはずだ。そしてまもなく、炎に包まれた壺は周囲を巻き込んで大爆発した。思ったよりも大きく破裂した壺の破片があたりに飛び散っている。火薬をもろに被った犬たちは、もがきながら黒焦げになっていった。

「あとはお前だけ…」

犬さえ片付けば、あとは落ち着いてデーモンの相手をするだけだ。相手の鉈の動きをよく読み、焦らずに隙を見つけるしかない。鉈に合わせて上手く攻撃を躱す。デーモンの動きを見ていると、どうも跳躍しながら真っ直ぐに鉈を振り下ろすか、二刀揃えて回転しながら振り回すかのどちらかが多く、それ以外は左右片方ずつ叩き切ろうとしていた。癖を覚えてしまえば単純で、踊りを踊るようにタイミングを合わせ転がり込むだけだった。攻撃の隙を見て刃を滑り込ませ、敵の攻撃を避けるために回る。すると敵も回り、その動きに追い付いた大鉈をまた避け、私が回る。
何度も何度もそうしていると、何故だか段々と楽しくなってきた。命を懸けた戦いのはずなのにどうしてこんなに楽しいのだろう?死に慣れて余裕が出てきたのだろうか。回り続ける中、敵の体はみるみるうちに深い裂傷が刻まれていった。それに比べて私は全くの無傷だった。慣れると、敵の血飛沫すらも避けられるようになった。あまりの楽しさに、戦いが終わるのが惜しくなってきたくらいだ。

「ギギ…」

しかし、終わりはすぐそこまで見えてきていた。足元にできた血溜まりからして、敵はかなりの失血をしており、動きも鈍くなっている。明らかに攻撃の手数が減っており、足元が覚束ない様子だ。それに加え、攻撃が当たらないことに苛立ちを覚えているのか動きが雑になってきている。…デーモンに感情があるのかは知らないが、苛立つというならこれはどうだ。
わざとらしく攻撃の手を止め、体を脱力し挑発をする。すると、山羊頭のデーモンはその大きな角を振り乱し露骨に苛立ちを露わにした。今だ。
地を蹴り、瓦礫に飛び乗ってそのまま短刀に全体重を預ける。切先が狙うのは敵の首筋。筋肉に沿って斜めに刃を切り下ろす。鋭い刃先でなぞられた血管からは、鮮血の幕が降りた。デーモンはもう動かない。

額にかかった血と汗を拭って、血溜まりの中に座り込んだ。いくら楽しかったとしても、疲れるものは疲れる。血の中心に崩れ落ちた山羊頭の骸を見下ろし、勝利に酔いながらエストをあおった。たかが盗人の私が、もう三体もデーモンを倒したのだ。この調子なら、きっと使命も果たせることだろう。今までにない高揚感の中飲むエストは、心なしかいつもより美味く感じた。
物言わぬ骸をぼんやり眺めていると、その横で何かがきらりと光った。目を凝らしてよく見る。それはところどころ錆びた、小さな鍵だった。…どこの鍵だろう。拾って突起を眺める。職業柄鍵はよく見てきたが、あまり馴染みのない形をしている。近くを散策すればそのうち相応しい錠が見つかるだろうか。

エストの最後の一口を飲み干し、大きく伸びをする。ここに来てどれくらいが経ったのだろう。夜ばかりの人の世、昼ばかりのロードラン。どちらにいたとしても、一日の終わりはとても曖昧で、眠らなければずっと同じ日が続くようだった。体感ではもう数日は経っているはずなのに、どれだけ戦い続けても太陽は沈まないし、エストを飲めば身体は元通り回復する。そうなると、結局身体が動く限り歩く羽目になるのだ。
愛すべき夜を恋しく思いながら、居場所を求めて彷徨うように廃墟を後にし歩き出した。

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