鍛冶師から無事に短刀を受け取り、再び不死教区の鐘楼を目指した。廃墟を出るとすぐに、埃っぽく乾いた匂いと、干からびた亡者が私を出迎えた。この亡者たちも倒せばソウルになる。元々金を貯めるのが趣味だった私にうってつけの新しい楽しみができたというわけだ。鍛え直した短刀の威力を試せて金まで貰えるなんて有り難い。鍛冶師の言っていた通り、貫くのではなく流れるように切り付ける動きを意識する。すると、切れ味も良くなったのか面白いほど刃がよく通った。やはりあの鍛冶の腕は伊達ではない。
大広間へ足を踏み入れると、古びた昇降機が目に留まった。鍛冶師に聞いた話では、この昇降機の横の階段を登れば鐘はすぐそこらしい。確かにここまでの道のりは決して楽だとは言えない。しかし、膂力ある騎士や屈強な戦士でもない盗人の私が辿り着けたのだ。正直なところ拍子抜けしていた。使命に向かった幾人もの不死人達が心折れるほどの試練かというと…些か疑問が残る。特に、祭祀場で項垂れるあの青い鎧の戦士は一体どこで心が折れたのだろう。鐘楼はもう目の前だというのに。
いくつかの階段と梯子を登ると、すぐに広い屋根上に出た。少しばかり遠回りにはなったが、目当ての場所だ。不死街の一番明るいであろう場所に堂々と位置する鐘楼。この辺りの街並みと澄んだ空を一度に眺望できるひらけた場所。その手前に、雨どいにしては不気形なほど作り込まれたガーゴイルが不揃いに五体立ち並んでいる。今にも動き出しそうなほど精巧だ。然るべきところで取引すればまあまあな値がつきそうだ。
お使いも、残り半分か。長くもなく短くもない程よい道のりだった。途中、おかしな不死人たちとの出会いもあったがそれもまた旅の一興だ。使命の旅の半分がこれで終わったというなら悪くは…。
上空を黒い何かが横切った。明るいはずの屋根上に影が落ちる。さっきまであんなに燦々と降り注いでいた太陽が翳るはずはない。恐る恐る上を見上げると、上空から大きな翼と鋭い尾を持った何かが飛来し着地した。その衝撃で大きく風が渦巻く。目を凝らして敵の正体を掴もうとするが、あまりに風が強くまともに目を開けていられない。あれは…巨鳥?竜…?それとも…。戦場に迷いは許されなかった。風を巻き上げながら再び飛び立ったソレは、一瞬で私の背後を取った。
「なっ……」
振り向く猶予もなく、真上を見上げた時にはもう自分の肩口に大きな斧槍がめり込んでいた。
「ーーーっ!!!」
噴き上がる血の行方を最後まで見届けることも叶わない。視界はあっという間に闇に呑まれ…私はただ、篝火に座っていた。
「…?どういう、こと…?」
今私は確かに何かと戦っていて…。あれは…確か不死教区最上階の屋根上だったはずだ。訳もわからぬまま翼を持つ大きな怪物に襲われて、斧槍で…真っ二つになったのか?しかし、今私が座っているのは鍛冶師がいる建物の篝火の前だ。肩を確かめるも、そこには傷一つない。私は…何をしていた?今の光景は、夢か幻なのだろうか?
訳が分からぬまま、短刀を取り立ち上がる。もしかしたら、白昼夢でも見ていたのかもしれない。知らず知らず疲れを溜め込んでいた可能性もある。なんだか身体も重たく、ちょうど夢の中で斧槍で叩き斬られた左の肩が痛む。じくじくと、筋肉を内側から開かれていく様な疼痛。肩が痛むからあんな夢を見たのかもしれない。
夢で見たのと同じ道を辿って、もう一度屋根上まで向かった。階段や梯子の数も、その位置も全く変わらない。屋根の上にはガーゴイルが五体並んでいる。こういうのを何と呼ぶのだったか…予知夢か?まだ夢心地のまま上を見上げると…大きな翼と鋭い尾を持つガーゴイルが、こちら目掛けて斧槍を突き出し飛び込んできた。
落ちてきたのではない。確かにその翼を自在に操っている”生きたガーゴイル”だ。着地の時に舞い上がる風を片腕で受ける。ひゅうと風が革を撫でる鋭い音がした。重たい石を引きずる様な擦れた音を立てながら、そのガーゴイルはこちらに向かってくる。もし夢と同じなら…後ろを取られる?
慌てて前へ転がり込み、ガーゴイルと入れ替わる形で背後を取られるのを回避した。ガーゴイルはその距離から斧槍を振り被り、眼前で勢いよく振り下ろす。…危うく脳天を叩き割られるところだった。相手が次の構えを取る前に反撃しなければ。石相手には分が悪いと思いつつ、その両腕を数度切り付ける。一応少しは効いているのか、ガーゴイルは身を捩り刃を振り払おうとした。
胴体は石の様に硬いが、よく動く翼を狙えばもっとダメージを与えられるかもしれない。そう思い、ガーゴイルの背後を取ろうと転がり込んだところで…ちょうど薙ぎ払う斧槍が私の胴をとらえた。巻き込まれる形で薙ぎ払われる。その一連の動作で、装甲の柔らかい腹はいとも容易く引き裂かれた。
「っぐ……うう、」
腹の中身をぶち撒けながら屋根の上を転がる。血と腹の中にあった赤い何かがそこら中に飛び散っているのを、ただ眺めていた。とてつもなく気持ちが悪い。そしてこれまでの人生で味わったどの痛みよりも鋭い痛みが腹を中心に広がる。口の中は鉄の味がした。どうしたら良いか分からぬまま、痛みに任せてのたうち回る。痛い。苦しい。終わらせて欲しい。いつの間にか視界は涙で歪んでいて、でもそんなことはどうでも良いほど腹が痛かった。今すぐに痛みがなくなる方法があるなら何だって試す。とにかく、この苦しみを早く終わらせて欲しかった。この痛みから解放してくれるならどんな方法だっていい。誰か、誰か私をころしてくれ。
「はっ…はぁ、は、ぁっ」
視界が徐々に暗転していく。手足の先はとうに冷たい。ああ、死ねる。これで終わるんだ。もう何も見えない。気が遠くなる様な激痛も無くなって、ここにあるのは、ただ闇と、静寂と、寒さと……篝火の炎だけだ。
「ぁ…なんで……?」
今しがた味わった痛みも夢だったのか?そんなまさか。切り裂かれたはずの腹は元通り繋がっている…鈍い痛みだけを残して。あれが夢なら、この痛みはなんなのだろう?ずっと悪い夢でも見ているのだろうか。私はただ不死の使命を果たすために鐘楼に向かって…。いや、待てよ。そうか。そうだった。私は不死になったんだった。
******
それから何度も、何度も、鐘へ向かっては鐘守のガーゴイルが私の前に立ちはだかった。
ある時は斧槍で切り裂かれ、ある時は炎で焼かれ、またある時は風で体勢を崩しそのまま落下した。何度も苦しみもがきながら死んで、その度に篝火へと帰された。何が夢で何が現実だったのかも曖昧になりながら、闇雲に挑み続けた。段々と身体に残された痛みがいつのものだったか分からなくなった。死を重ねるたびに蓄積されていく痛みの記憶は、篝火へ戻されても消えはしない。
そこでようやく祭祀場の戦士があのような皮肉を言うに至った理由が分かった。ガーゴイルが相手だったかは分からないが、彼もこうして何度も死んだのだろう。人の身では勝てるはずもない強敵相手に、何度も、何度も。何より恐ろしいのは、死ぬたび更新される痛みや苦しみの記憶に伴って、大切なことが抜け落ちていくのだ。それが何であったかも思い出せない。ただ、自分の一部だった記憶や思い出が失われていく。夢の中の出来事を忘れてしまうみたいに。いずれ自分の名すら忘れてしまいそうだ。だとして、それを避ける手立てもない。唯一あるとすれば…あの戦士のように立ち上がらず、使命を放棄することだけだ。
同じ道を辿りながら、次はどう死ぬのかを考えていた。どうすれば死なずに済むかを考えるより、死に方を想像する方が容易だ。そろそろ考え得る全ての死に方を経験したのではないかと思うほど死んだのに、未だ光明は見えない。斧槍の癖は掴めて来たが、尻尾や踏み込みに対応しきれていない。何より、短刀があと一歩のところで届いていないのだ。届く間合いまで近付くと斧槍の回転と尻尾に巻き込まれる。離れれば攻撃が当たらない。出血させられない石相手に短刀の相性が悪いのもある。かと言って、今更武器を持ち変えるつもりもなかった。
今度こそ最後にしよう。そう自分に言い聞かせて、ガーゴイルの待つ屋根上へ足を踏み入れる。上から降りて来るのを待って、一気に間合いを詰める。斧槍が振り上げられたタイミングで脇を潜り抜け、敵の背後を取る。ここまでは良い。振り下ろされるタイミングで後ろへ引きナイフを投げる。しかし一投も命中することなく、ナイフは床を掠めて落ちていった。翼を羽ばたかせたガーゴイルは今度は頭上を狙っているようだ。また斧槍を振り下ろす読みで構えていると、今度は鋭い尻尾の先を突き出してくる。危うく食らいそうになりながらそれを盾で受け切った。
「っ、紛らわしい…」
器用に尻尾と斧槍を使い分けるガーゴイルに合わせてなんとか身体を翻す。それも体力のあるうちはいいが、段々と敵の動きに遅れを取るようになる。ほんの一瞬の油断が命取りで、一歩崩されるとそこからは攻撃も防御も噛み合わなくなり…結局私はまた、逃げた先で足を踏み外して落ちたのだった。