#1 誓いと墓標

プロローグ~ロードランに着くまで。どうしてもちゃんと不死の生い立ちを書きたくて長くなっちゃいました。長すぎるぜ!って方は3話から読むとラレが出てきます
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望むものは何も与えられなかった。祈れど、願えど、神には届かず、利口に待った者から先に飢えて死んでいった。ならば奪うしかなかった。早い話だ。誰も与えてくれなら持つ者から奪うしかない。欲しいものがあれば全てこの手でくすねる…それが私に与えられた術だった。
夜ばかりが続くようになった故郷では、食物が育たなくなりやがて飢饉が起きた。穀物が不足し食糧泥棒の騒ぎが後を絶たず、それでも食うに困った民は道草や家畜を食べて飢えを凌ぐ。貴重な穀物は都を守る兵士に優先的に与えられ貧農への僅かばかりの施しはすぐに尽きた。都から見切りをつけられた貧しい者達は虫やネズミにも手をつけた。
飢えの苦しみと痛みは、宿主を弱らせる寄生虫のようにじっくり時間をかけて人々の心を侵食していった。あんな状況でまともな判断力を保ち続ける方が困難だ。倫理を捨てた獣になるか、死体になるか。その二択を突き付けられて誰もが誇り高き死を選べるわけではない。飢えと渇きは、そう安らかには眠らせてくれないのだから。
虫やネズミでは食い繋ぐには足りないと人々が気付き始めた時…ついに人食いや死肉食いが起きた。噂では幼子を手に掛けその肉を売り歩く輩もいたらしい。墓は荒らされ、道端に骨や腐肉が落ちていることも珍しくない。どこへ行くにも“自分が食事にされる可能性“を案じる生活は、さながら地獄だった。

成年を迎えてはじめの満月の夜、私は死体の山の中で幾日も空腹のままうずくまっていた。動けば腹が空く。食べる物を探そうにも腐り切った死体ばかりで何もない。腐肉を漁っても視界に入るのは蠢く蛆だけ。もうそれでもいいかと手を伸ばしかけた時に、一羽のカラスが死体の山へ降り立ちガアガアと騒ぎ立てた。月の出る時間にカラスなど珍しい。羽を下ろし足を揃えたかと思えば、屍の上を跳ね回りながら肉を突いている。器用に肉を千切り旨そうに塊を飲み込んでいく嘴から、赤い血が滴った。熟成の進んでいないワインのように鮮やかな赤。それがどうしてか私の食欲を刺激した。

「…お前はいいね。食べるものがあって」

カラスは私の言葉に構わず黙々と屍から肉を剥がしている。よく見れば丸々と太っており妙に毛艶が良いカラスだ。きっと月の光のせいだけではない。死体を食べ慣れている様子から、この飢饉によって“良い食事”にありつけていることが分かる。廃棄物を漁り煙たがられる不吉の鳥に今や人が“漁られている”とはなんと皮肉な話だろう。もう一欠片、大きな塊を飲み込むとカラスは遅れてこちらを向いた。つぶらな漆黒の瞳は、お前は食わないのかと問うていた。忘れかけていた飢えが腹を鳴らして存在を主張する。カラスはそれを嗤うようにもう一度ガアガアと喚いた。一口だけ。一口だけなら平気だ。カラスがつついて出来た穴に顔を近付けて舌を伸ばしかけて…その悪臭で我に帰った。カラスは小首を傾げて私の方を見ている。もっと新鮮な肉がある。目の前に。そう気付いた時にはもう両手で獲物を掴んでいた。
力任せに毟った羽が辺りに舞っていた。血と脂のような液体で汚れた両手に月明かりが反射していた。露わになった生肉に夢中で齧り付く。皮を歯で割いて、他には目もくれずただひたすら肉を頬張った。獣の血の味、肉の臭み、そんなものを感じる間も無くあっという間に肉を平らげた。久々にありついた食事はこれまで人生で食べた何よりも飢えを満たした。手の中に残るのは美しい白骨とまだ新鮮な内臓と押し黙る嘴だけ。毟られなかった風切羽が月明かりを受けて青く輝いた。
もう鳴くことのないカラスの骸は悠然と語っている。この世界は手を伸ばした先にある命を奪わなければ生きていけないことを。漆黒の瞳に映り込んだ自分を葬り去りたくて、両手で土を掻いて穴を掘った。信仰も甘えも気高さも、全てここに埋めていくと決めた。その穴に土を被せ、服に纏わり付いた黒い羽を全て払い終えた時…私は神に祈るのをやめた。

狙う獲物さえいれば飢えないと知った私は人の多い都に身を置いた。飢饉で苦しむ民が人食いに走る傍ら、富を溜め込んだ貴族たちは憂いもなく絢爛に暮らしていた。初めて盗んだのはパン。次はりんご。ある時は金貨や宝石で、またある時は羊一頭。老若男女すれ違う全ての人間が私の獲物だった。
金貨を数えるのに飽きてもまた次の獲物を探した。目当ての品があったわけではない。金になりさえすればなんでもよかった。しかし盗めば盗むほど私の心は渇き飢えた。肉体の飢えを満たせても心の渇望は収まらない。もしかすると私が本当に欲しかったのは食事や財ではなく、金貨を何枚得ようと決して買い戻せはしない無垢さか、あの日カラスの骨と共に埋めたものだったのかもしれない。かといって汚れたこの手で掴めるものは限られている。結局私は盗みをやめなかった。祝福されなかった命に相応しい方法で渇きを潤そうとしたまでだ。生きることは奪うこと。それ以外の方法なんて知らないのだから。
盗んでは身を隠し盗むものがなくなれば次の国へ。顔立ちや体格が目立たないのも幸いし噂になるようなこともなかった。女の身一つの放浪は決して楽ではなかったが、盗みの才に恵まれてそれなりに悪くない暮らしができた。その日限りで他人の記憶から消える渡世はさながら“蜉蝣(かげろう)”のようで我ながら気に入っていた。

金貨を数えるのも退屈になった頃、私は何の前触れもなく闇に蝕まれた。体の内側で何か暗いものが蠢動していた。自分の身体の中に何かが封じ込まれているのは間違いない。見ることも触れることもできない。しかしその性質が暗いものであることだけは不思議と理解していた。自分の中に広がる底知れぬ闇は、今にも身体を食い破って出て来てしまうのではないかと思うほど秩序なく蠢き続けている。その質量が増すにつれ、あれ程までに固執していた”生”への執着が日を追うごとに薄れた。それから、食欲が湧かなくなった。焼きたてのパンや瑞々しいりんごを見ても心が踊らない。生きるための最低限の食物すら身体は拒み、何も受け付けなくなった。幾日もそうして食べない日が続いた。しかし不思議と身体は弱らない。食事の手間が省けたとさほど気にも留めなかった。明確な違和感を覚えたのは、季節が終わるまで何も飲み食いしていないことに気付いた時だった。普通なら死んでいてもおかしくはないのに、身体は至って健康なのだ。病などではない。それが不死の呪いと呼ばれていることを耳にしたのは、盗み先の屋敷の侍女達の噂話だった。
呪われる覚えはあった。衛兵殺しに窃盗、盗みの標的がいけすかない貴族の時は…重要そうな書簡を”うっかり“人目につく場所に置いてしまったこともあっただろうか。そういった小さな悪戯も含めれば、枚挙にいとまがない。誰に呪われていてもおかしくなかった。裁かれなかった数々の罪を思えばあまりに相応しい罰。だから、私はその不死の呪いの証(ダークリング)を受け入れた。本来、罪は裁かれるべきなのだ。そうでなければ善良な者が割を食って、私のような罪人が得をし続けてしまう。それを許す神とこの世界を私は唾棄していた。

不死になってからというもの、食欲こそ失われたが、それ以外はまるで何ら変わりない生活を送っていた。起きて金貨を眺め盗みに出る。良いカモが見つかれば手早く仕事を済ませ、隠れ家に戻る。もう飢えを満たす必要もないのにそんな日々を繰り返した。それ以外生きる理由を持ち合わせていなかったからだ。生きるために奪う。奪うから生きられる。月夜に胸に刻んだ生き方は、呪いよりも深くこの身に染み付いていて…今更辞められるようなものでもない。得体の知れないダークリングに呪われたことよりも、生きてきた意味を失うことの方が何よりもずっと恐ろしかった。その恐怖から逃れるように私は盗みを続けていた。
ところが、恐怖からの逃走劇はそう長くは続かない。どの国にも呪われた不死が現れ、王達は対策を余儀なくされた。そうして出来たのが北の不死院だ。不死人達は一人残らず不死院に送られる。その迎えが…ついに私のところにも来たのだ。どれだけ盗みを犯しても捕まらなかったのだから、誰も私を捕まえられやしないと侮っていた。しかし、街や国を上げての本格的な“不死狩り”に、逃げ場などあるわけがない。どこへ身を隠そうとも正体不明の騎士団が地の果てまで追ってきた。結局、半死半生になったところで捕まるのは時間の問題だと抵抗するのを辞めた。
その時私はようやく気付いた。世界はこそ泥の羽虫一匹捕まえられないのではなく、野放しにしていただけなのだと。狩る価値もないから生かされていただけで、捕まえようと思えばいつだってそう出来たことに。
かくして惨めな蜻蛉は北の不死院、月の光も届かない深い夜の檻に投獄された。

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