砂糖漬けの恋にリボンをかけて

不死×ラレ
不死が生徒でラレが教師の学パロ 甘酸っぱい。『ビターショコラの虜』の続き。

いつから私の学生生活は、こんなに変わってしまったんだだっけ。不意に目が合うと心臓が爆発しそうになるし、名前を呼ばれるだけでその日一日幸せでいられる。前髪が上手く巻けない日は憂鬱で会いたくないけど、それでも二限終わりは隣のクラスをつい覗き見て、副担任として教室の隅からサポートする先生の横顔に勝手にドキドキしてる。昼休み。わざと遠回りして職員室の前を通って先生の後ろ姿を見てから、立ち入り禁止の屋上に行って空を見ながら溜息をつく。
それが私の日課になった。写真の加工みたいにモノクロだった世界が、誰かのせいで色付いた。その時から私の世界は先生が中心に回る、全く別の人生になった。学校なんて家に居たくないから行く場所だったのに。今は、ただ先生に会いに行くために通って、ホームルームが終わるのを毎日待ち遠しく思ってる。おかしな話だけれど、数カ月前からここで昼食を食べていたのに、昼の空が青く澄んでいることを私は最近まで知らなかった。どこにも居場所のない私の見る景色に、色があるとは思わなかったから。それが映画や漫画みたいに、本当にある日突然塗り替えられた。手を伸ばしても届きそうにない白い雲だけが、そんな私の心境の変化をつぶさに知っていた。
「はぁ……」
空になった弁当箱を畳んで鞄にしまう。先生は今頃、何食べてるんだろう。いつもなら準備室で一緒にご飯を食べるけど、木曜は午前に魔術の実技が入ってて、片付けのせいで第二準備室が使えない。だから先生は食堂で他の先生とご飯してるし、私は一人に逆戻りだ。食堂に行けば会える。でも、生徒でごった返している昼の食堂は、人混みと喧騒でてんやわんやしていてあまり好きじゃない。それに、暇さえあればずっと後つけるのは……ストーカーっぽいし。授業が終わる度に先生を探して廊下をほっつき歩いて、時間割全部把握してる時点で、大分重症だ。ほんと、馬鹿みたい。生徒と教師。子供と大人。追いかけたって、こんな恋叶うわけないって分かっているのに。
憶が一にも、先生が私みたいな子供を相手にしたとして……タダじゃすまないだろうことくらいは分かる。もしバレたら、後ろ指を指されるどころでは済まない事態。私だって親に胸を張って紹介できないし、在学中はデートだってもっての他。だから、恋の成就が現実的じゃないってことはとうに分かってる。でも、叶わなくても好きな気持ちが恋なんだ。
もし、先生と違う形で出会えていたら。同級生だったら、幼馴染だったら……身勝手な妄想の中で、二人の出会いをやり直したいと何度も思った。けれど、先生が先生じゃなかったら、私が呪術を教わることもなかった。先生の火を分けてもらうこともなかった。それは、なんだか嫌だ。それで、結局これでいいんだって自分に言い聞かせている。気持ちはそう簡単になかったことにできないから、今日もただ想うだけ。呪術へ並々ならぬ情熱を抱く先生の、私には絶対向けてくれないような眼差しと、炎を見つめるその横顔にただ焦がれる。胸の奥で燻る感情を、空に託さずにはいられない。私の気持ちを、学期終わりのまだ少し冷たいそよ風が運んでくれたらよかったのに。三月の風は、そんな想いには応えられないと言うように、前髪の間を勢いよく通り抜けていった。
「今日は随分晴れてるな。昼寝日和……には流石にまだ早いか」
突然、背後から聞き慣れた声がして思わず飛び上がりそうになる。振り向いた先には、立ち入り禁止と書かれた扉に背中を預けて佇む、薄汚れた白衣を着た教師。意中の先生が困ったように眉を下げたまま、腕を組んで立っていた。
「もう何度も言ったと思うが……ここは立ち入り禁止だぞ。まぁ、景色がいいから来たくなる気持ちは分かるけどな」
「せんせ?」
叶わぬ恋だと言い聞かせた途端、これだ。運命は悪戯に人の恋路を転がして、今頃笑っているに違いない。少し冷えていた指先から顔まで全身が一気に熱くなる。風に好き勝手させていた前髪を整える。静電気でくっついた髪を指で梳いて、心を落ち着けるために深呼吸した。
「ここにいるだろうと思ったよ」
怒られるかと思ったのに、先生はくしゃりと表情を崩して嬉しそうに笑う。目尻に出来た皺と持ち上がった口角が眩しい。一瞬たりとも見逃したくなくて、惚けたまま見入っていた。
私のことを見つけにきてくれたってこと?先生が?未だ事態が飲み込めず首を傾けると、先生は隣まで来てフェンスの根本に腰を下ろした。小さな声で「意外と寒いな」と付け加え、手に付いた土を払ってこちらを振り向く。
「準備室の片付けが終わっていないから、木曜はここにいるんだろう? ……寒くないのか」
先生が来てから寒くなくなった、なんて言えるわけない。ついさっきまでは、カーディガンを羽織っていても寒くて、ストッキング越しに鳥肌が立っていたくらいなのに。今は不思議と身体が温かい。呪術のせいなのか、先生の体温が高いのか……それとも私が先生にお熱だからなのか。声が上手く出せず、ただ首を振ると「本当か?」と笑って先生は白衣を脱いだ。
「ほら、無いよりはマシだろう」
肩にかけられた白衣から、先生の体温の名残を感じる。余計に頬が熱くなった。前髪を押さえていた手を頬まで降ろすと、ひんやりした指先にほのかな温かさを感じる。スカートより下は寒いのに、顔は熱があると錯覚してしまいそうなほど熱くて、温度差で本当に風邪を引いてしまいそうだった。
「どうして来たの?」
「……これを渡したかったんだ。放課後まで待っても良かったんだが、こっちの方が人目につかないだろ。ほら」
先生の身体を挟んだ向こう側から、何やらガサガサと乾いた音が立てられる。先生は私に紙袋を手渡した。放課後に何度か友達と行ったことがある、落ち着いたカフェのロゴがあしらわれたクラフト紙の紙袋。手土産くらいの大きさの割に、受け取るとやけにずっしりしている。
中身が気になるのはさることながら、会えない木曜に私を探してくれたことと、肩に掛けられた白衣の重みで、頭の中は大渋滞を起こしていた。今日は放課後まで会えないはずだったのに、屋上で二人っきりになるとは思ってもみなかった。それに、プレゼントまで。頭がパンクしそう。
「ありがと……」
嬉しいのに上手く言葉が出て来ず、搾り出すように呟いた。唾を飲み込んで潤そうとしても口の中はカラカラに乾いたままだ。
「趣味に合えばいいんだが……この間貰ったみたいな洋菓子を作れるなら、これもきっと好きじゃないかと思ったんだ」
私よりずっと長く筋張った指が紙袋を示す。促されるまま覗くと、リボンのかかったガラス瓶と、平べったい楕円の缶が並んでいた。瓶のくびれには赤いリボンが結ばれている。手に取ると、ごろっとした果肉の残る赤いジャムがめいっぱい詰まっているのが分かった。缶の方は少し表面に凹みがあって、そこにブランド名であろうシールが貼られている。軽く振るとサラサラと軽やかな音を立てた。挽いたコーヒーか紅茶の茶葉らしい。私が缶を振るのを見て、先生は口元に手を持ってきてくすりと笑った。
「それは紅茶だな。ジャムと一緒に味わうらしいぞ。俺は詳しくないんだが、味は店主のお墨付きだ」
「これ……先生の好きな味なの?」
「いや、俺も飲んだことはない。そのリボンを見てたら、あんたが鞄につけているストラップを思い出して。見た目で、なんとなくそれにしたんだ」
「つけてたよな?」と先生は身体を寄せて私の鞄を指差した。それに合わせて、一際冷たい北風が沢山のストラップを一斉に揺らす。初めてゲーセンで取ったマスコットや、最近できた友達とおそろで買ったやつ、流行りの小さなぬいぐるみの影で、窮屈そうに捻れている赤いリボンのストラップ。先生はそれを見つけて「ああ、やっぱり!」と嬉しそうに言った。先生と出会ってから買った恋愛運のストラップは、誇らしげに存在を主張している。
「こ……コレ? つけてるの、知ってたんだ……」
「よく揺れて、ひらひらして……炎みたいだろ? だから記憶に残ってたんだ。もしかして、あんたが好きな色なのかと思って」
そう言って自信満々にこちらを見る先生の胸の上で、ボルドーのネクタイが揺れる。そういえば、普段はネクタイなんかしないのに珍しい。ネクタイも赤にしてきたんだ。……何それ。こんなの、私じゃなくても勘違いしちゃう。緩みそうになる頬を噛み締めて耐えて、深く息を吸い込む。先生はフリスビーを咥えて戻った犬そっくりな顔でこちらを見下ろしている。かわいいけど、こんなの……狡い。
「先生って……タラシだよね」
「なんだって……?」
「先生の女たらし! すけべ! 他の子にもこんなことしてるの!?」
胸の中いっぱいに満たされた喜びと興奮が、決壊する。こんなことを顔色ひとつ変えずに出来ちゃうから、大人はずるい。こんなに本気で好きでも、付き合ってはくれないくせに。よくもこんなことを。堰き止められなくなった感情は、理不尽な怒りに変わって出力された。
「他の生徒と言われても……そもそも何も貰ってないからな。俺に凝った《落とし物》をくれたのは、あんただけだ」
この口振りなら、貰ったら誰にでもこんなことをしかねない。来年のバレンタインは、他の女生徒への妨害工作も欠かせないと胸に刻む。むくれて腕を組むと、先生は思わぬ反応に困ったように眉を下げた。
「それに、一番好きな色は赤じゃないもん……」
先生は私の好きな色を勘違いしている。リボンやネクタイなんて、私たちを隔てる記号に使われる色じゃなくて。私が好きなのは、遠くて、どれだけ手を伸ばしても届かない、澄み切った空の色。薄ぼんやりしていて、目を閉じたら忘れてしまいそうな、叶わぬ恋の色。——先生の瞳の色。
「そう、か。それはその……すまない」
先生は途端にしょげて、申し訳なさそうに頭を下げた。慌てて肩に手を置いて首を振ると、先生は驚いて目を見開いた。
「ち、ちが……違うよ! その、赤だって……今、好きになったよ。先生とお揃いだもん、赤。先生の好きな色なら、私だって好きだし。だから、ほんとに……ありがと」
「はは、なんだそれ」
「乙女心は複雑なんだよ」
肩を揺らして笑う先生はなんだか満足げで、それを見ていたら、叶わぬ恋もどうだってよくなってくる。ずっと先の未来より、先生が隣にいる今一秒。この温もりと時間をしっかり覚えておきたい。先生との春は、もう何度しか訪れない。その時には、きっとこの気持ちにもお別れしなくちゃいけないだろうから。
「ねー、返さなきゃダメ? 白衣」
「寒いなら貸してやるさ」
「ううん。ずーっと返したくないの」
「それはダメだ。屋上の鍵が入ってるから、教室に帰れなくなるぞ」
「帰れなくなってもいい」
「馬鹿言わないでくれ……」
貰ったジャムを食べ終えて瓶が空になったら……中には何を入れよう。忘れたくないこの時間や、どんどん膨れ上がって止まらない気持ちも、沢山の砂糖で煮てリボンで封をすれば、いつか届けることが出来るかな。
「ねえ、先生。放課後一緒にこれ飲もうよ」
最後の予鈴が鳴るまでは、この青い春の中にいたい。火傷しそうなほど熱くて、とろける蜜で煮詰めた……甘い甘い恋の中に、二人きりで。

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