鐘を鳴らし祭祀場に戻ると、例の青い鎧の戦士がとってつけたような薄笑いを浮かべ、わざとらしく手を叩いて私を迎えた。
「よう、聞こえてたぜ。あんたが鐘を鳴らしたんだろう?大したもんだ」
白々しい言葉に眉を顰める。不死教区の鐘楼からの帰り道から、薄々こうなることは予想していた。しかし、鐘守のガーゴイルとの戦闘は自覚していたよりずっと体力を消耗していたようで、この男の冷やかしへの返答を考える余裕はなかった。鐘を鳴らした暁にはこの男の鼻を明かしてやろうとばかり思っていたのに、嫌味のような疎らな拍手を聞いても何も言い返す気にはならなかった。
それより今の私の頭の中を占めていたのは、鐘楼を降りたところで出くわした黒装束の男のことだった。梯子を登る時には確かに誰もいなかったのに、鐘を鳴らした途端現れたその男は自らを教戒師と名乗り、免罪や告罪を申し受けると言い出したのだ。全ての罪を見透かしたかのようなその瞳に、私は居ても立っても居られなくなり足早に鐘楼を後にした。罪なら…数え切れないほどある。問題は、あの男はそれを赦す立場にあるということだ。恐らくはあの男も何らかの神の代行をしている聖職者の類には違いないのだが…ただ金を巻き上げ免罪を与える以上の異質な雰囲気を男は漂わせていた。それこそ、あの男の前に立つだけでこれまで気にも留めなかった数々の罪を暴かれてしまいそうな…味わったことのない居心地の悪さを感じた。端的に言えば、ロードランに訪れてから一番薄気味悪い体験だった。
篝火にあたりながら中々立ち上がらない私に何か思うところでもあったのか、それとも沈黙を嫌っているのか、青い鎧の戦士は頼みもしないのに話し続けた。
「頑張った褒美に、俺から一つヒントをやろう。もう一つの鐘は不死街の下、病み村にあるって話だ」
無視をしても続けるつもりなのだろうと観念して顔を上げると、男は気を良くしたのか口の端を上げて乾いた笑みを溢した。
「嬢ちゃん、病み村がどんなところか知ってるか?疫病者ばかりが集まる村だとよ…俺なら御免だな。まぁ、せいぜい準備して向かうことだ」
嫌味は健在のようだ。しかし情報は役に立つ。祭祀場で無駄話ばかりしているのは伊達じゃない。不死教区の鐘の話が正しかったことを踏まえると、この情報も適当に口から出まかせを言っているわけではないと見ていいだろう。少なくともこの男には嘘を吹き込むような趣味はないということだ。
鐘を鳴らした不死教区から下に位置するあの荒廃した街が不死街なら、それほど遠くはない。疫病者が集まるという点だけは気掛かりだが、目覚ましの鐘がそこにあるというなら避けて通るわけにはいかないだろう。出来ることがあるとすれば男の言う通り万全の準備をした上で向かうくらいか。
「親切にどうもありがとう。土産でも持ってこようか?」
「土産?病気でも貰ってくるってか?…それより、自分が無事に帰って来られるか心配した方がいいぜ。ついこの間も、小汚い呪術師が病み村に向かったっきり帰ってきやしねえ。なんていったかなぁ…呪術の祖がどうとか、訳のわかんないことを言ってたが…」
「呪術師…?」
初めて聞いた話だ。私より先に病み村に向かっていた者がいたのか。後を追えば何か使命の手掛かりが得られるかも知れないが…呪術師というと、聖職者や魔術師とは異なり忌み嫌われている存在だと耳にしたことがある。なんでも異端の術を使うとかで、街や集落を追われ行き場を失った者が辿り着く末路だとか。根無し草の私ですら見たことがない者達。そんな者が、一体このロードランに何の用があるというのだろう。
「ああ。それと、師を探してるって魔術師もいたな。どこに向かうかは聞いちゃいないが…とにかくまあ、どいつもこいつも行ったきりで帰った試しはないってこった。あんたもそうならないといいな?ハハハ…」
私の前に来た不死人達はみな帰ってきていないのか。そういえば、不死教区の近くで見た白い丸鎧の男はあれからどうしているやら…。太陽の戦士に助けられた手前私も人のことを言えた立場ではないが、ここへ訪れた不死人は聞く限りどこか危うい変わった者達ばかりだ。この男はなんだかんだと新顔に声を掛けては世話を焼いているようだし、太陽の戦士もどういうわけか自主的に傭兵か自警団の真似事をしている。居なくなった呪術師や魔術師とやらもきっと一癖ある変わり者なのだろうな、とぼんやり思った。
火の粉が小さく爆ぜた音に耳を澄ませて、一つ伸びをする。私もそろそろ病み村に向かわなければ。どんな病が蔓延っているのか分からない以上対策のしようもない。身支度といえば、袋の整理や鎧の下に仕込んだナイフが足りているかの確認と、あとは武器や防具の調整くらいだ。鍛冶屋のお陰で武器はあれからずっと調子が良い。弓は滅多に使わないから適当に拾ったもので事足りているし、盾も申し分ない。心構えさえ出来ればもうあとはいつでも旅立てる。
篝火は焚べられた薪を飲み込んで大きく波打って揺れていた。時折周りの草を舐め取って焼き焦がし、炭を煤けた灰にする。骨のように白い灰は炎が生んだ熱風に煽られて蝶のように舞った。
「ねえ、戦士」
「…俺に話しかけてるのか」
「もし私が帰らなかったら、さっきの噂話に盗人も付け加えておいて」
「ふん。気は進まねえなあ」
「じゃあ、いってくる」
呪われたこの身が灰に還ることはあるのか、と問おうとして…やめた。今の私に許されたているのは、亡者になるその時までこの命を燃やし、騎士の与えてくれた使命を果たすことだけだろうから。